hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

北川健次『美の侵犯―蕪村×西洋美術』

 

美の侵犯―蕪村×西洋美術

美の侵犯―蕪村×西洋美術

 

 (※アマゾンへのリンク。アフィリエイトじゃないので、クリックしても僕にお金は入らないです。)

 なんだこれは。蕪村についての発表をしなければいけなかったので、「蕪村」で蔵書検索をかけていたら、だいたい『詩人与謝蕪村』みたいな俳句の鑑賞本がずらっと表示される中で、1つだけ浮いていたこの本。当初、蕪村の評価史について発表しようと思っていたので、最新の語り口としてはこんなとんでもないものもあるんですよ、という風に使えなくもないかなと思い借りてしまいました。

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件名:ひのでです。相談のお礼と、イベントの件―いいわけの日記を添えて―

○○先生

 こんにちは。先日は発表の相談にのっていただき、ありがとうございました。古い図版をみてみると、先生のご指摘の通り文人画的な作品ばかりに重点がおかれており、晩年の作品は載っていないことが多々ありました。ですのでかれに対する論考を読む際は、論者がかれの作風について述べたとき、具体的にはどの時代のどんな作品が論者の方で想定されているのかに注意しながら読んでいきたいと思います。

 それから昨日の研究室主催のイベントの件ですが、参加せず申し訳ありませんでした。今思うと本当にお恥ずかしいのですが、すっかり行事のことを失念しておりました。土曜日には確かに覚えていたのですが…。どうして忘れてしまったのか、これを反省的に吟味するためには、22日の事を振り返らねばなりません。以下、簡単な22日の日記です。

 当日の朝、大きな図版を広げるために、机の上を整理しようと、ノートパソコンを移動させようとしたところ床に落としてしまい、パソコンに刺さっていたUSB(明後日用の、発表原稿とスライド画像資料入り)がぽっきりと、端子とメモリのところで折れて分かれてしまったのです(挿図1.)。端子の部分はパソコンに刺さったまま、メモリの方は周りを保護するプラスチックのケースが割れて、なにか電子的な中身が放り出されておりました。この分断こそが運命の分かれ目でした。急ぎヨドバシカメラへUSBを買いに行かねばと焦ったばかりに、イベントの事が頭から抜け落ちてしまったのです(今思えば、発表原稿は構想段階のバージョンではあるものの本体の方にも保存したものがあり、画像資料も研究室でスキャンできるものだけでしたので、そこまで急ぐ必要もなかったはずなのですが)。そして頑丈そうな外観のUSBを手に入れた後、遅れを取り返すべく、一日原稿の作業を行いました。夜遅く、発表まであと何日残されているだろうかと、ふと部屋にかかったカレンダーをみて、22日という日付を目にして、日曜日であるとか、ぞろ目であるとか、真田丸を見わすれたなとか以外に何かあったはずだと思い、部屋の真ん中で「あっ!」と声をあげ手を打った次第であります。日記は以上です。イベントはとても楽しみにしており、所属する2つのサークルで宣伝までしたのに、当の本人が行き忘れるとは、本当にふがいなく、申し訳ありません。

 ここ数日のキレのなさを、この間も先生に指摘していただいたばかりで、私の方でも、もうこれ以上うまくいかないことが続かないようにと注意していたのですが、どうもパッとしないのがまだ続いているようです。どうかこのメールで五時・脱字をやらかさ、画像の添付し忘れなどのパッとしないミスがないようにと祈りながら、送信いたします。

『私は生まれなおしている』

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 部屋の片づけがしたくなり、加えてどうでもよい文をかきたくなっているこの状態。こうした欲求がなにを意味しているかというと、僕にはやるべき課題があり、でもまだなにも手をつけておらず、あと2日と半分しか残された時間がないということを意味しているのです。

 

 足の踏み場もありません。バイト先の塾で使われた大量のプリント(三角柱と三角錐の違いが、「←頂点!」の走り書きとともに、がたがたの図形でもって解説してある)や、初回だけでた講義の今後の予定(最終レポートのみ出して単位をもらうつもりらしく、締め切りの日付に下線がひいてある)が書かれた紙が、絨毯の上いっぱいを覆うことで、僕の歩行によってその安物の絨毯の繊維が摩耗しないようになっています。そしてそこへアクセントとして添えられた、色とりどりのペットボトル、謎の封筒、ビニール袋、パンツ。どこをみても物であふれ、空きのないこの部屋は、6畳ないといわれるこの正方形の部屋を訪れる者の目を、決して飽きさせません。しかしながら、たいていの訪問者は、この部屋に飽きを感じる前に部屋を去ってしまうので、こうした趣向を楽しむ余裕はありません。訪問者があれば、これを機に大掃除を、とも思うものが、部屋が汚い→部屋にあげるひともいない→誰も来ない間部屋が汚くなる→さらに片づけがいやになりもっとひとをあげたくなくなる→…という負のスパイラルに飲み込まれている今、そうした訪問者の登場はうれしいと同時にうれしくないという(やっすい)二面性をもっていることになり、僕の方からひとを招くことはできなくなりました。本来ならば、招く招かない以前に、そもそも招くような人がいるのか、と前提を確かなものにしなければならないのですが、これはあまりにも悲しい結論が待っているために、いま議論にのぼらせることは拒否します。

 こうした部屋の様子をみていただくため、写真を載せることもできますが、撮ったとしてその写真は誰も幸せにしないことを運命づけられた写真となるため、代わりに(多読自慢バカがよくやる本棚紹介みたいな(なんで読む本をどれもみんな買う必要があるの?図書館ってしってる?無料で本がよめるところなんだけど*1))本棚の写真を載せました。こうしてみると、一番上の段が全く活用されていないことがよくわかりますね。整理の参考にいたします。

 いま、僕はパソコンにむかっているわけですが、こうする際にも、準備としてまずは椅子の上に山積みになっている本とプリントをベッドに移し、皿や調味料によって机の地から迫害されたパソコンが置いてある、机と同程度の高さを持つベッドの方へむいて、ヒーター・机・ベッドが三方を固める真ん中に位置する椅子に、挟まるようにして坐り、パソコンのキーボードの上(第2の机と化している)からつくりかけのプラモデルをどかすという作業が必要なのです。狭いコックピットかなにかのようになっています。助けてくれ。

 

*1:これは自戒です。

ちょっと似ている

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 ぬいぐるみの犬とか、無愛想な顔した女の子を描いたり、透明な箱にぬいぐるみをぎゅうぎゅう詰めにする現代アーティストについての発表を授業でききました。なぜかれの作品が人気なのかというと、発表者によれば、かれの作品が、作家の個人的な(特に幼少期の)思い出に基づいてつくられた作品でありながら(しばしばかれの作風がナイーブだとか未成年的といわれるのはこういうことするからでしょうね)、普遍的なテーマ(とはいったい…)を含んでいるために、鑑賞者それぞれの個人的な記憶に収束していくという構造があるからだという。要は、作品自体は初めて見たんだけど、なんかなつかしい感じがする、自分の幼少期の頃の記憶が呼び覚まされるという体験ができるから、評価されているんだというものの言い方ですね。

 ほんとうに奈良美智の作品が、こうした効果というか(発表者の言葉をかりれば)構造というかを持っているかについては、ぼくにはわかりません。ただ、発表者の指摘した構造ってのは、れいの、行ったこともない街の路地やなんかの写真(ないしは、どっかの高校の、文化祭でのクラス展の準備の写真でもいい)をみたときに、「どこか懐かしい」と感じる、あの感じ方の構造なんだろうな、とは思いました。ということは、もし発表者のいうように、こうした構造が奈良の作品にあるとしても、それは奈良の作品に限って存在する構造ではないし、そこをつかまえて奈良の特徴なんです、ってうのは、いまいち魅力にかける言い方な気がする。(だいたい、ほんとに奈良の作品は個人的か?という疑問もあります。ほんとうに個人的すぎる作品なんて、そんなん作者以外からしたらどうでもいい、ただの独りよがりな作品、内輪ネタな駄作になっちゃわない?奈良の作品が「内向的」といわれながらうける理由は、ここのバランスのとりかたがうまいからなんだと思う。内向的なそぶりをみせながら、それを鑑賞者に共有してもらおうとするずうずうしさ*1。なんか前もこんな話しましたね。)この構造って、『それ町』みたいな漫画とか、クレヨン社の『オレンジの地球儀』みたいな曲にだってあるだろうし、逆に創作の出発点に作者の経験がないことなんてあり得るの?とも思う。

 

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 ただ、別にぼくはいま奈良の話がしたいわけじゃないんです。高校のときに撮りまくった写真を、フォルダの奥底から発見してしまって、うわ懐かしいなこれ、となって死にたくなってるところなんです。で、この写真にも、きっと「どこか懐かしい」の構造があって、ぼくと同じ高校のひとじゃなくてもたぶんこの懐かしさを共有できるのではないかと*2(こういうネタで、「郷愁の写真論」みたいなこじらせた論文書けそう)。 っていう言い訳をして、ただ独りよがりな懐かしい写真をのっけました。

 

www.youtube.com

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 あの、オチとかなんもないんです

*1:展覧会の名前が「君や 僕に ちょっと似ている」だぜ?!でも、そういうの好きィ…

*2:というのは嘘です。芸術作品なら、こうした共有ってあり得るけど、この記事がまさにいい例なように、なんかネットにころがっている、中高生のいきった写真とかみても、別に懐かしくないし、はいはい、勝手に思い出にひたっててくれってなりません?

文学部の授業で会えるいろんなバカを分類しよう2

 前回の続き。あんまりバカバカいっていると本気で怒られそうだしひどいヤツ、と軽蔑されそうなのでこれくらいにしておきます。でも、前も言ったようにバカを愛しているんだって!ほら、本気で嫌いだったら聞く耳持たないし、こんなに書こうとも思わないでしょう…。それにこんなこと書いている僕自身が、自分の事がみえていないバカ、ブーメランでもあるわけですし。

 

・ソクラティックバカ

解説:

 ソクラテスよろしく問答法を試みるバカ。「無知の知」をモットーに、対話によって相手の考えの矛盾を露見させようとするも、反対に自分の考えの浅さが露見する。が、そもそもソクラティックバカに「自分の考え」があるのは稀なケースで、大抵の場合は「考えなしにとりあえず相手の意見を疑ってみてor否定して、そのなかで賢そうな言葉を連発していく」ことが多く、かれらに対話の余地ありと思われ、その標的にされた哀れな対話者をただただ混乱におとしいれていく。

 一般的にいわれるソクラテスの問答法にある(べきとされる)ような、対話によって討論者とともにあるひとつのものの見方へ到達し、それを共有するということが目標なのではなく、問答でやりとりをすることそれ自体が目標なので、対話は泥沼にはまり込む。

 ちなみに、こうしたソクラティックバカの多くはプラトンの著作をひとつも読んだことがなく、あこがれの教授のやるパフォーマンスに影響をうけただけと思われる。なぜかというと、プラトンの著作なんて読んでいたら、今以上に変な方向に感化されて、もっと手のつけようのない疑ってかかるバカになっているからである。決してかれらに、短いからと言って『パイドロス』とかすすめては駄目である。ただでさえぐだぐだな対話の中に、「思うに美とは~」とか「徳」、「よく生きるっていうか~」みたいな安いソクラテス語録が混入し、より一層理理解不能になってしまうからである。

こんなところに出没:

 ディベート形式の授業全般や、発表者への質疑応答の時間。ただし、教師とのディベートでは、逆にしてやられるとわかっているのであまりしゃべらない。このように、対話に勝ち負けがあって、自分の無知や論理の脆さをさらすことが負けであると考えている時点でかれらの底の浅さがみえみえである。

ソクラティックバカの例:

 ここにかくととてもながいながい対話になるので割愛。

 

 ・読書感想文バカ

解説:

 文学作品や絵画作品に対して、考察のつもりでただの「読んだカンソー」や「みたカンソー」を述べるバカ。ただしもちろん、芸術の考察というのは、個人的な体験:「こう感じた、こう思った」が、出発点にあるはずで、ではどうしてそう感じたのか?を検討していくことが真摯な研究の態度だと思う。でもそのためには、とことん作品記述をし(作品記述とは、作品を記述していると同時に、「自分にはどう見えたのか・どう見たのか」ということを記述することに他ならない)、作品が自分を惹きつける秘密を作品の中に探らなければならない。ところが読書感想文バカは、まずその作品が好きか嫌いかで語り始める。「好き」であれば、その作品の気に入らないところ、特に何とも思わなかったところは見なかったことにするし、「嫌い」であれば、ここが無理、ここが意味わかんない、で片づけてしまう。読書感想文のごとく、「ここに共感しました」「みんなもこの主人公のいうことをわかってあげるべきだと思います」で考察(?)が終わる。変に恰好つけて小難しい用語をつかわないだけましではある。

こんなところに出没:

 芸術作品をとりあげて考察・発表をする授業全般。

読書感想文バカの例:

 前回の記事で、実際に授業中にきいた発言を晒しているわけではない、という旨をのべましたが、読書感想文バカだけは、実際にある授業であった発表が衝撃的すきて、それ以上の例を挙げられそうにないので、少しぼかしをいれつつそちらを紹介します。

(課題として与えられた、ゴーゴリ『外套』について考察する、そう、「考察」する授業での発表で)「まず、みなさん発表の中で、主人公のアカーキイは感情移入しづらいとか、語り手の話が冗長で長いといっていましたがあ、そんなんじゃないと思います!アカーキイは、かわいそうな人じゃないですか、その、何のとりえもなくて貧乏だし、実直できよわなところとかが。だからこれは同情すべきなんです(!?)。なのでぇ、途中で偉い人を口汚い言葉で罵ったときは、ちょっと残念で、こういうことはするべきじゃないのになーって思いました。それで最後に、かわいそうにしんじゃって、幽霊になって外套を奪うようになった時は、個人的には、愛するわが子が反抗期になってしまったのを見ているようで、で私はアカーキイには同情すべきで、愛するべきだと思っているので、ここはもう目をつぶりました。おわりです。」(一応、いっておくと腐っても旧帝国大の文学部の授業である)(そして僕たちの手元には、レジメとして、右上に発表者の名前のみが書かれ、その下に箇条書きで4行、主人公に同情すべきか、愛すべきか、うんぬんの文、あと全部真っ白な紙が配られた)擁護すれば、発表者はおそらく専門にあがったばかりで(レジメに学年も所属もなかったのでわかりませんが)、授業の初めての発表者でやりかたもわからなかったのかな、と思います…。

 

・専門用語からコンテクストはぎ取りバカ

解説:

 現代に現れた奪衣婆ならびに懸衣翁*1。奪衣婆は亡者から服をはぎ取るが、このバカは小難しい専門用語やよくわからない語句を、それらが普通使用されるコンテクストからはぎ取る。はぎとって、全然見当違いなところでそうした小難しい言葉を使う。彼らの発言を聞いた者は、もしかして自分がバカなのであろうかと思い悩む。彼らがはぎ取りがちな用語は、以下のようなものが多い。

・「~主義」系。要素還元主義、形式主義、相対主義、耽美主義、懐疑主義自然主義などの、正直なんだかよくわからないもの。

・「~性」系。心性、認識性、反転不可能性、合目的性、文学性など。

・「~論」系。意味論、分析論、目的論、機械論など、使う前に定義を教えてくれと願うもの。

 かれらがどういう意味でこうした小難しい言葉を使っているのかを知ることは二重の意味で難しい。第一に、こうした用語が使用されるコンテクストを知っていないといけないし、第二に、かれらがこうした用語をどう間違って理解しているのかを推測しないといけないからである。が、大抵は本来の意味(通常、コンテクストの上で用いられるときに与えられている意味)を知らずに、文字通りに受け取ってつかっていることが多い。横文字ばかりつかう横文字バカと似たようなものだが、当の本人たちは専門用語をつかう自分は格がちがうと思っているらしい。

こんなところに出没:

 授業中というより、レポートや論文に彼らの活躍を見ることができる。それからなぜか彼らのレポートは中学2年生の日記のように漢字が多くて読みにくいから注意だ。

専門用語からコンテクストはぎ取りバカの例:

・(文学評論で)「こうした解釈は形式主義に陥っており、皮相的な観念でしか物を捉え切れていないという窮めて明瞭な一例を我々に与えているのである。」(形式主義は、内容を軽視して形式を重んじるものを指す場合と、ロシア・フォルマリズムのように、内容を表現する際の手法を着目することを指す場合に使われる。後者の場合は決して非難のような意味合いを含まない。)

・「文学的還元のように、要素還元主義的な手法を用いてこれらの作品を鑑みていみると、或る重要な全体論的又は巨視的な観点からの作品全体を包括的に纏め上げる光が永遠に失われてしまう危険性を孕んでいる。」(お手上げ。)

 

 と今日もいっぱいバカについて考えてみました。おわり。

*1:「だつえば」と「けんえおう」。三途の川のほとりで、川の渡し賃を持たない亡者から服をはぎ取る鬼。

文学部の授業で会えるいろんなバカを分類しよう1

 友達が教えてくれたなにかの小説の一節に、こんなような内容のものがありました。「バカのよいところは、バカなりに創造性を働かせたり、突拍子もない事をいうというところにあるのに、かしこぶったバカは、そうしたバカのよいところがなく、これが一番救いようのないバカだ」。たしかもとは英文で、この「バカ」はidiotをその友達が訳したものだったと思います。かしこぶったバカ。そうした一番救いようのないバカを学部でよくみかけると彼はいっていました。たしかに文学部にはいろんなバカがいるので、なかなか見ごたえがあります。そこでどんなバカがいるのかちょっと考えてみました。なんかアンサイクロペディアっぽいことしてますね。ちなみに文学部に特徴的なバカというのは、歴史的事実や芸術作品(小説、絵画など)や評論に対して、「かしこぶって」なにかを言おうとし、そしてなにかを言った気になっている、実はなにも言えていないようなバカのことです。

 断っておきますが、僕も彼も、そうした人たちを本気でバカにしているとか、軽蔑しているとか、そういうわけではないのです。下にあげたバカの例も、実際にそういうことを言う人の言動をわざわざメモしといてここに晒しあげたとかではなく、こういう人いるよなーと、バカの気持ちになって考えたものです。愛すべきものとして、(さらに僕に関しては、自分自身もふくめて)バカと呼んでいるのです。「アイロニーの最大の振幅はユーモアである」ってキルケゴールもいってたし、ただの悪口のつもりでいってるのではないのです、ね。記事では伝わりませんが、第一「バカ」の発音の仕方からして、僕らは包容力をもって、やさしく発音しているのです。言い訳がバカっぽいって?ほらすぐそうやってバカにするー。

 

〇文学部で観察できるバカたち

・知識当てはめバカ

解説:

 自分の知識を、どんな分野にでもすぐに当てはめようとするバカ。どっかの授業でききかじった知識、教授の受け売りの説を、様々な方面で「応用をきかせて」(と、本人は思っている)、無反省に、再利用しようとする。そのため、少しでも自分の知識が応用できそうだと思う話をきくと、喜んでトンチンカンな説を語り始める。本人は、自らの広い知見から、目下の問題に対して適切な視座を与えたと思っているらしい。教授や、他の学生に少しでもなにかを指摘をされると、「いやこれは現象学的なものの見方というか〜」とか、「小林秀雄がおんなじこといってて〜」と、自分の知識がどこから来ているものなのかをすぐに白状してくれる。次に紹介する、象徴バカと似ている。

こんなところに出没:

 文学作品を扱うディベート形式の授業や、哲学入門の授業に出没する。

知識当てはめバカの例:

(文学作品を扱う授業で)「古代中国では、時々皇帝による虐殺が行われていたわけですがー、だからここであえてこの登場人物の事を作者が比喩的に「皇帝」とよんでいるのは、彼に残虐さがあるということを読み取るべきでー」(そもそも原文ではそこはKaiserとあるのだから、中国の皇帝だけをそこにあてはめる妥当性はどこにもない。が、権力があるとか、えらいとかそういうのを言いたくて「カイザー」という言葉を使ったのかもしれない、という我々の平凡な意見は当然却下される。)

 

・象徴バカ(別名イコノグラフィック・バカ、メタファー・バカ、フロイト・バカ…)

解説:

 あらゆるところにあらゆる象徴を見出す。たとえば文学作品における、森の描写ひとつとっても、彼にいわせればその森は作者の鬱屈した性の象徴であったり、森は薄暗いイメージがなんとなくあるから作者の幼いころの恐怖の象徴であったりするのだ。本人は深読みしたつもりでいるが、作品の全体をみた我々にとっては、「なんでそこに注目したの!?」となるのでかなり意味不明である。ところがこのタイプのバカは文学部における「はしか」みたいなものなので、割とたくさんいる。象徴バカ同士が教室内で呼応しすることがあるので、おいてけぼりをくらった我々はただただ、「面白いところに目をつけたね」と称賛を送るしかない。絵画や物語といった芸術作品は彼らにとっては、図像学的なアレゴリー(寓意)やアトリビュート(持物)のパーツの寄せ集めでしかなく、彼らが作品それ自体に価値を見出そうという姿勢で作品をみることは決してない。細部(それも特に重要ではない)にばかり目が行くので、全体が見えない。もっというと、その注目した細部が、全体の中でどんな役割を果たしているのかとかもいえない。部分と全体との関係性というものを考えたことがない。

 絵画における表現を解釈する際に用いられる図像学(イコノグラフィー)を、絵画だけでなく様々なところへ持ち出すバカともいえる。上記の、なんにでも象徴をみいだす姿勢は、図像学という、西洋美術史学特有の解釈の方法を他の分野でも使おうとしている点で、前述の「知識当てはめバカ」の一種といえる(本人がそれをイコノログラフィー的と知っててやっているのかは謎だが)。また、もしかすると本人はフロイト心理学の応用のつもりでやっているのかもしれない。

はてなキーワードだと、図像学の説明がめちゃくちゃなので(たぶんどっかのバカが図像解釈学(イコノロジー)を図像学とごっちゃにして書いたのだと思われる)、図像学の解説をちょっと。

 図像学(イコノグラフィー)…宗教画に描かれている人物は、どっかに「マリア」とか「キリスト」とか名前でも書いておいてもらわないと、聖書に挿絵があるわけではないし、誰が誰かわからない。まあこの2人(?)はさすがにわかりやすいからいいとしても(もちろんこの2人も、他の聖人たちと同じでアトリビュートのおかげでわかりやすいんだけども)、一体何人いるのかわからない聖人なんか、ぞろぞろ描かれても、みているこっちも誰が誰やらとなるし、描く方もどう描き分けていいかわからない。だから、キリスト教美術のうちでは、「矢がいっぱい刺さってるやつはどんな顔・体つきでもとにかくそれは聖セバスティアヌスね」とか「ペンチで歯を抜かれた人だからペンチ持ってる女の人が描いてあったらそれは聖アポロニアね」という、その人を象徴するようなアイテム(=アトリビュート)と、その人を関連付けるという約束事ができてくる。こうした美術表現の意味とか由来を考えるのが図像学*1ってわけ。

 こんなところに出没:

 文学部に広く一般にみられる。また、なぜか文学部の教室を抜けて、ネット上にも多い。

象徴バカの例:

ガルパンの一枚絵を宗教画のごとく、ひとつひとつの象徴としてみちゃったおじさんとか。

 ・アニメで女の子が吹いている楽器を男性器の象徴としてみちゃったおじさんとか。

h2s.roheisen.net

(上の記事が、長いけど特徴的な象徴バカとそれにたいするいいツッコミという感じ。)

・(文学作品を扱う授業で)「この納屋の場面で何気なく描写されている箱なんですが、これはパンドラの匣のことを指していてぇ、のちに展開されるストーリーの暗示的な意味があると思うんですよねえ。さいごに主人公たちが運命に立ち向かっていくのも、これはパンドラの匣にさいご希望が残ったのといっしょで、あ、一緒というのはそもそもここでは作者がパンドラの匣のことえおぉ、意識して箱を登場させているのでまあ必然なんですが(笑)」

 

先入観バカ

解説:

 評論や芸術作品、歴史的事実にたいして、「どうしてこのような作品(あるいは事件、思想)が生まれたのか」といった、作品あるいは歴史的事実のバックにあるものを考察しようとする(ちょっと賢い)も、自分の先入観によってそこへおかしな理由づけをしてしまう、おしいバカ。「ドラクロワが『民衆を導く自由の女神』を描いたのは、背後にフランス革命の成功があり、またその成功に喜ぶドラクロワがいたからである。」というような、高校の世界史Bの資料集に書いてあったようなことを専門にあがってもまだ言っているタイプ。実際にはそんなに単純な「フランス革命」という数値を、「ドラクロワ」という函数(function)に入力した結果、『民衆を導く自由の女神』という解が出力された、というような関係にはなく、逆に、こうした作品が描かれたことによって、フランス革命の勢いが高まりをみせたということもいえるのである。「ゴッホが浮世絵に影響を受けて平面的な作品を描いた」というようなありきたりな先入観にまみれたことはいえるが、そうではなくて、「ゴッホが浮世絵から着想を得た作品を描き、後世にそれらが評価されたことで、浮世絵が注目されるようになった」すなわち「ゴッホが浮世絵に影響を受けた」のではなく、「ゴッホが浮世絵に影響した」というようなことがいえない。要するにわかりやすいストーリーでもってしか物事をみられない。

 高校時代に歴史が好きだったので、歴史を学ぼうと文学部へ来たものの、歴史の雑学的知識だとか、ストーリーとしての歴史が好きだっただけなので、歴史というジャンルを外から眺めることは出来るが、そうではなくて、学問として歴史を考察する、事象事象との間に意味づけをしていくという作業が出来ない、暗記するだけの歴史が好きだった人々のなれのはて。頑張って既成のストーリーやヒストリーに意味づけをしようとするが、結局主体的に何かを言うことができていない。

こんなところに出没:

 歴史学、芸術学の授業。

先入観バカの例:

・(文芸論の授業で)「和歌が花鳥、すなわち四季と、恋愛や別れすなわち人為と、名所すなわち場所のことをうたうのは、これら時間的・人間的・空間的世界を天皇が統治しているということを強調し、褒め称えるためなのです」

・(哲学の授業で)「ここでメルロ=ポンティは、あきらかにデカルトのことを非難する目的でこういったことをかいているので、これはデカルトのことをこきおろしているんですよねえ」 (デカルトをやり玉に挙げている、明らかにデカルトを意識して問題提起や論調を進めているということは確かにあるが、それがデカルトへの非難であるといえるかは別である。むしろデカルトのなしたことを受けて、デカルトが考えようとしたが、やり残してしまったことを批判的に(批判は決して非難と同じではない)再確認しそこからデカルト哲学を再構成していくという作業をしたとも言える。)

 

 長くなったので、今回はこれくらいで。まだまだ「ソクラティック・バカ」や「読書感想文バカ」などたくさんいるのですが、それはまたこんどに。こんなんかいてたら4時間近く経っていました。こんなくそみたいなことかくのに4時間…マジレスするやつが一番バカってはっきりわかりますね。

*1:こうして図像学って打つたんびに、たぶんアンダーラインがひかれて図像学についてのはてなキーワードの解説のリンクがついてると思うんだけど、その解説の出だしが「美術史学における新たなアプローチ。」とか一行あけてかっこつけて書いてあってバッカでーと思う。確かに、イコノロジーを、イコノグラフィーの発展形であるとして、こいつのこともひとくくりにしてイコノグラフィー、と呼ぶのは間違いじゃないけど、あくまでそれはイコノグラフィーという集合のなかの一部に、イコノロジーという発展形が含まれているに過ぎないのだから(みんなベン図を思い浮かべよう!)集合の一要因でもって集合を説明するのは不十分だよね。でもって明らかにこのはてなキーワードの「図像学(イコノグラフィー)」の解説を書いた人は、そういったことすら頭になくて、単にイコノグラフィーとイコノロジーを取り違えたうえでドヤ顔で解説してるよね。だいたい、イコノロジーにしても、美術史学における新たなアプローチ。」というにはちょっと古い気もするし(パノフスキーの『イコノロジー研究』も1939年のものだし、イコノロジーという言葉自体はもっと昔に起源をさかのぼれるし…)。)

風邪をひいたのでネイバーまとめ記事名メーカーつくりました。

 ポカリを飲んだときに粉っぽいとか苦いと感じたら、こりゃ風邪ひいたな、と思います。

 ゴールデンウイークの出だし3日間を、危うく何もしないで過ごすところでしたが、初日に風邪をひいたことで、ただの惰眠が意味のある休養となりました。僕の部屋では、二重窓のある壁に横付けするようにベッドがおいてあるのですが、この二重窓がまあ役に立たない。寮がたてられてから30年間、歴代のこの部屋の住人たちが窓の桟の掃除を怠ってきたせいで、北海道の冬を耐え忍ぶためにつくられた二重の防衛ラインにはほこりがたまり、今やその機能は絶えて失われているのです。そこへ春らしさに気が抜けた僕らへの容赦ない寒波がやってきて、はれて風邪をひいたというわけ。頭がんがん耳ぼーっとして鼻水がとまらないなんて典型的な風邪を久しぶりにひきました。

 で、日がな一日寝続けながら、馬鹿にしつつもついネイバーまとめとかをひらいては、頭にゴシップとヘンなダイエットとこの春の流行の最先端のことしかないひとが、頭にゴシップとヘンなダイエットとこの春の流行の最先端のことしかないひとのためにつくったあたまのよわい記事を読んだりしていました。脳が風邪にやられているのでとても楽しめました。

 記事の内容のテンプレートさ(初めにあたまのわるい問題提起があって、つぎに記事の話題になってる単語を検索して適当にひろってきたツイートがあって、そのへんのネット記事をざく切りにした引用と、それをオウムのように繰り返すだけのコメントが載ってて、ところどころに、スーツ着て悩んでる外人とかカフェでパソコン開いてる女性の画像(「byアマナイイメージズ」という文字が画中に飛蚊症のように半透明になって浮いてる)がはりつけてあって…)もさることながら、みんなおんなじ人が書いてんのか?と思うような「そーなんだ!春は花粉症がヤバいらしい…」とか「ちょっとまって!歯磨粉をそのままたべると健康に悪いみたい。。」みたいな記事のタイトルがいいですよね(まとめタイトル風にいうと「いい感じ♪」)。それで、ひょっとしたらこれは特定の独立語(「まじか!」「ちょっとまって!」「何それ怖い…」等)と修飾語(「いま話題の」「春の」等)と主語(できるだけネットに転がってそうなワード)と述語(「ヤバいらしい…」「行ってみたい!」等、なるべくくそどうでもいい主観があらわれているものが望ましい)をランダムで組み合わせるだけでつくれるんじゃないかとおもい、以下の診断メーカーをつくりました(名前を入力して診断をすると、7万通りの組み合わせのなかからランダムで選ばれた文字列が生成されます。名前を変えると結果もかわります)。レーモン・クノーの『百兆の詩篇』みたいな?

shindanmaker.com

 やってみると、

まじで!?パリジェンヌの「マグカップダイエット」が面白い

なんてものや、

 行かなきゃ損…!インスタ映えする「新スポット」から目が離せない!

 といった割とふつうにありそうなものから、

 超便利 ガチでつかえる練り香水がどれもおいしそう♪

みたいな、ああ…練り香水食べたせいでこんなあたまのわるい記事を…。とおもえるものまで出てきました。みんなもやってみてね。

http://cdn.amanaimages.com/preview640/10367007239.jpg

カフェで仕事をするビジネスウーマン[10367007239]| 写真素材・ストックフォト・イラスト素材|アマナイメージズ

 ちなみに、

まじで!?ずぼらのための料理レシピがめっちゃ優秀

というそのまんまありそうなやつをグーグルで検索してみたら、ほんとにネイバーまとめとクックパッドのページばっかりでできて面白かったです。だれかクックパッドの料理名メーカーもつくってください。