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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

ネットラジオ

 午前2時。望遠鏡を担いで踏切へ行けば、今というほうき星を天体観測できそうな時間です。でも札幌の空は煌々としたビルの光のせいでオレンジ色をしてるし星は見れそうにないです。それにこたつに正座しているし。…星座? 

 唯一あの曲と共通点があるとすれば、ラジオを聴いているくらいしか。ベルトに結んではないけれど。それもネットラジオなのであっちのお腰に付けたラジオでは受信できないでしょう。

 ねとらじは僕が中学生の頃よく流行っていた気がする。今が人気無いだけなのかもしれないけど。当時買いたてのPSPネットラジオが聴けると知って、真っ先に聴けるよう設定した覚えがあります。といっても、アニメの声優さんとかがやってる方のネットラジオが聴けると思ってやっていたのですが。PSPで聴けるネットラジオはいわゆる「ねとらじ」で、Ustreamの音声だけ版みたいな、素人でやってるパーソナリティの人が独自の掲示板についたレスを拾いながら話す感じで。

 もともとラジオは小さいときから好きだった気がします。小学生のころ家族と旅行のとき、行きの途中に釣堀があって、その野外にあるガチャガチャで、ビンの王冠のかたちしたラジオ受信機のがあって、それを父さんにやってもらってから、旅行中はずっとそれにイヤホンを挿してラジオを聴いていた思い出があります。

 でもたしかそのラジオはAMしか受信できなかったんですよね。中学生になると最初の1年は夜更かしばかりしていたので、普通のラジオじゃ物足りなくて。深夜3時とかになるとラジオショッピングしかないし、早朝になると放送大学の哲学講座みたいな聞いてるだけで不安になるのしかやってないし。だからねとらじはうれしかった。「有名でも何でもない人が、自分と同じ時間に仕事としてではなく純粋にラジオをしている」というだけでわくわくして、よくある「君と僕は離れてるけど、同じ空の下で同じ月をみているんだぜ☆」みたいな遠距離口説き文句がありますけど、それみたいに「離れてるけど、だれかが起きてておんなじ時を過ごしてる」のを意識できるのは安心感があって。夜更かしの罪悪感が薄まるというか、夜更かししてていいんだ、となんとなく思えて。全然夜更かししちゃいけないことはわかってたんですけどね。

 でも当時のねとらじ著作権法の意識が低くてみんなYouTubeから拾ったようなアーティストの曲を流していた覚えがあります。相対性理論とか。PSPねとらじ機能はBGMが何かを表示してくれる優れものなんですが、ほとんど著作権アーウトで。それが著作権法が改正された後から運営側でも厳しくなったようで、CD垂れ流しみたいな番組はもちろん、BGMにそういうのを使っていた人たちもぐんと減りました。それから今思えばニコニコ生放送とかが黎明期で、パーソナリティもリスナーもそっちへ行ってしまったのか、僕が受験生になる頃には閑散としていた記憶があります。僕もラジオ聴きながらだと勉強できないな…なんてあたり前のことに気付いて聴くのをやめてしまいましたし。

 高校の時は夜更かしもしていましたけど、割と忙しかったのと一度ブームが去ったようなものはいいや、という性格だったので全然聴かず。ゲームもやらなかったのでPSPからも離れて。それから大学に進学して刑務所のような殺風景な寮の個室で1人眠れないときに、また持ってきたPSPの電源を付けるようになって今に至るのです。あ、寮は実際に網走刑務所をモデルにした設計なので殺風景さはすごいですよ。家賃4300円だし。

 と、だからなんだといわれると困りますが。中学生の時にねとらじを知ったばっかりに、まわりまわって大学生になった今もねとらじを聴きながらブログを深夜に書くような人間になってしまいました。時計を見ると1時間も経ってるし。これは一体…?

 ラジオを放送している側も午前3時とかなのに「明日仕事でさあ…」みたいなことをいう人が多いので、あっちも悪いとわかりつつやっているんでしょうね。がんばれ社会人。

 そうやって夜更かしして時間をつぶしている人間が話しているのを、夜更かしして時間をつぶしながら聴く。そしてそんなことを時間をつぶして回顧している人間のブログを、時間をつぶしながら読むあなた。あはれ、みんな廻るなり。

 聴いていたラジオのパーソナリティが寝落ちしてさっきから寝息しか聴こえないし、そろそろ僕も寝よう。さあ皆さんも。

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