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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

太宰治の創作原理 ―「だまっていれば名を呼ぶし、近寄って行けば逃げ去る」作品たち―

授業でやったことを話題に転用することは日常生活でもよくやるのですが、ブログに書くともだんだんなくなってきたので(なあに、はじめからなかったさ)、ついにレポートをそのまま転用するまでに。1年生の頃の教養科目のレポートなのでふうん、という感じで読んでいただければ幸いです。ちなみにこの授業は太宰を扱うものでも、日本近代文学を扱うものでもなかったのですが…。完全に趣味を語っただけなのでブログに近いレポートかもしれません。

 太宰治自身に関するパブリック・イメージは、その作品や作風と混同されて語られることがある。例を挙げる。『新潮社日本文学アルバム19 太宰治』(昭58・9新潮社)では、太宰に関係する写真を出生から死亡までの時系列順に整理し、アルバム形式で彼の生涯を紹介しているが、その冒頭部分である出生から昭和7年までの項目は「生まれてすみません」という題がつけられている。この「生まれてすみません」という文句は、彼の作品『二十世紀旗手』(昭12)の冒頭からの引用であるが、まるで太宰の作品中の言葉がそのまま太宰自身の出生に対する態度と同一であるかのようにこの文句が引用されている。このように、太宰の作品は『人間失格』(昭23)をはじめとして、多く自伝的小説と捉えられ、彼の人生と作品はパブリック・イメージの上で同一視され、弱さの告白や退廃といったイメージが彼自身に付きまとっている。しかしながら、これらの理解の仕方は本当に正しいのだろうか。また、太宰自身はそのような受け止められ方をどう感じていたのだろうか。本レポートでは『人間失格』『春の盗賊』(昭15)等の作品群から、太宰による物語のフィクション性の強調と、逆に自身がモデルとも取れるキャラクターを登場させることで虚構と太宰の私生活との区別を読者につかなくさせる、読者のスキャンダル性を太宰自ら煽るという矛盾した創作原理への理解を主題とする。

 

 

1.『人間失格』のフレーム構造

―「自分」と「私」の二人の作者―

 『人間失格』は、その連載が終わる直前に太宰が入水自殺したことから、長らく彼の遺書や自伝的小説としてとらえられてきた。確かに、太宰の年表と比較すると作中の「自分(大庭葉蔵)」のかかわった事件のモデルを特定することができるし、大庭の出身が東北の名家であるなど、太宰が意図的に自身と似せたと考えられる設定もある。しかしながら同時に太宰は、作品の大部分を占める大庭の「手記」の前後に「はしがき」と「あとがき」を付け、そこに小説家である「私」を登場させている。この私は、大庭の「手記」と冒頭にある大庭の3葉の写真とを、10年以上前大庭と知り合いであったバアのマダムから「小説の材料になるかも知れません」と手渡され、そのまま手を加えずに小説にしたと作中で語っている。すなわち、大庭は「手記」の作者であるが『人間失格』を書いた「私(作中の筆者)」とは別の人間である、というフレーム構造を太宰は用いたのである。

 このようにして2人の作者を用意し、『人間失格』の手記を書いた大庭をさらに「私」という小説家の作品のフレーム内という一段階下の層に閉じ込める意味とはなんであろうか。それは、太宰と大庭との距離を広げるためのものではいだろうか。もし、この作品に「私」が登場せず大庭による告白のみで完成されたとするならば、多くの読者は前述のような大庭と太宰の共通点をみつけて、太宰のスキャンダルの告白としてこの作品を読むだろう。そしてそのような読み方に関して、太宰は何の釈明も作中にできないままとなってしまう。ところがこうしてフレームを与えると「大庭の「手記」は作中の中で完結しており筆者(あくまで作中の筆者であり太宰と断定することは出来ない)の語りは小説、つまり架空のものであるので大庭の存在ももちろん架空のものである」という釈明が可能となる。こうして太宰は作品と自身のスキャンダルを遠ざけ、「嘘」であることを強調した。

 ではなぜそこまでして自身と大庭を遠ざけながら、「手記」の告白は太宰の私生活とある点でリンクするような展開にさせたのか。この疑問の解明には、同じく「私」が登場する作品でありながらフィクション性を強調させた『春の盗賊』を読み解く必要がある。

 

2.『春の盗賊』のフィクション性

―太宰作品と落語の構成との類似点―

 『春の盗賊』では、語り手である「私」が「小説の中に、「私」と称する人物を登場させるときには、よほど慎重な心構えを必要とする。フィクションを[…]どこの国の人でも、昔から、それを作者の醜聞として信じ込み、上品ぶって非難、憫笑する悪癖がある。[…]フィクションを、フィクションとして愛し得る人は、幸せである。けれども、世の中には、そんな気のきいた人ばかりも、いないのである」と、太宰の私生活と太宰の作品を混同して読む読者にたいして呆れているようなそぶりを見せている。その後「次に物語る一篇も、これはフィクションである。私は、昨夜どろぼうに見舞われた。そうして、それは嘘であります。全部、嘘であります。そう断らねばならぬ私のばかばかしさ。」と実際に自分が「私」目線で物語を書くときも、それはフィクションなのだということをひどく強調してから、「私」が「昨夜どろぼうに見舞われた」話が始まる。一見すると物語を通じて「私」の語りが通されるので、『人間失格』のようなフレーム構造は存在しないように見える。だが前半の自身の私生活と小説とを混同するなという語りと、泥棒に見舞われたという「フィクション」の間に、太宰は「そろそろ小説の世界にはいって来ているのであるから、読者も、注意が肝要である」という一文を入れている。ここで、それまでの語りはいわゆる私小説で、以降はフィクションであるという宣言が行われているのである。ところがこの宣言は物語前半部分と後半部分とを断絶させてはいない。「そろそろ」という表現からもわかる通り、前半部分に小説が入り混じりながら、あるいは後半部分に事実が入り混じりながら、徐々にフィクションが顔を出してくるのである。

 このような方法は、落語家が噺の前に振る「マクラ」に似ている。マクラは、噺を始める前に会場を温め観客を噺に自然と導入させるものだ。マクラで語られることは、大抵は演目に関連しており、噺家の身近な体験談などの小噺を含みながら次第に演目に入る。演目自体は始まりがあるが、マクラと繋がるとその切れ目は時に観客からはわからなくなることもある。マクラも噺家の私生活そのままを語っているわけではなく、時には誇張やフィクションが介入している可能性がある。するとフィクションである演目と区別がつかなくなるのだ。『春の盗賊』でも、やはりマクラであるところの前半は誇張も含めた「私」の小噺であり、段々とフィクションに近づき「そろそろ小説の世界にはいって来ている」と語ったところで、噺家が羽織を脱ぎ本題に入るようにそれとなく合図をする。

 しかしながら落語の構造と『春の盗賊』とが決定的に違う点は、『春の盗賊』ではマクラの後も引き続き「私」目線で語られる点だ。落語では噺が落語家の目線で進められることはない。そのようなことをすればマクラと噺の混同が観客側で行われ、混乱させる可能性があるし、元よりそのような演目が存在しない。だが太宰の場合は、あえて混乱させたほうが読者を楽しませることができる。

 『春の盗賊』のマクラ(この場合は「フィクションはフィクションとして読みなさいという「私」の話」)と噺(同じくこの場合は「昨夜「私」が泥棒に見舞われたというフィクション」)の区別をつけない読者はマクラ部分も嘘としてとらえ、マクラと噺部分を太宰の写実的な私生活の告白として読むことができる。一方でマクラと噺を区別して読んだ読者は、マクラ部分で太宰にスキャンダルを好む性質を咎められ、噺を完全なフィクションであると理解して、嘘を写実性に富んで描く太宰の技巧を楽しむことができる。

 こうした読者の読み取り方にバリエーションが出ることを、太宰は把握していた上でこの作品を描いたのではないだろうか。

 今までの推論も、マクラ部分に書かれている語りは太宰の本音であるから「太宰は自身の生活と作品を切り離して読んでほしかった」という結論に達しようとしているわけだが、そもそも太宰は「作中に「私」を登場させるときは、それを筆者である太宰と混同するな」と言っているのだから、このマクラの「自身の生活と作品は切り離して読め」という主張も「私」が語っている以上フィクションであり太宰と同一視してはいけない、という反論も可能である。典型的な嘘つきのパラドックスである。

 

3.結論

―「だまっていれば名を呼ぶし、近寄って行けば逃げ去る」―

 以上の事から、本レポートで冒頭に提起した「太宰と彼の作品を同一視する理解の仕方は本当に正しいのだろうか。また、太宰自身はそのような受け止められ方をどう感じていたのだろうか」という問題に対する答えも、2つ用意しなければならない。

 1つには「『春の盗賊』前半に見られるようなフィクションをフィクションとして読めない人間に呆れる太宰の態度から、彼はそのような読まれ方を拒否していた」という結論だ。すなわち太宰からすれば自分の出生を「生まれてすみません」などと作品の登場人物と混同されることは、望んでいたことではなかったのである。とすればこの結論は太宰に対する今までのパブリック・イメージをある程度払しょくするものであり、一般の読者層へ新たな太宰像を提示することができる。

 もう1つは「太宰が自身をモデルにしたととれる登場人物や舞台設定をしばしばしたように、自身の生活と彼の作品を同一視することを読者に煽っていたので、そのような捉えられ方は太宰の望み通りである」という結論だ。『春の盗賊』冒頭で語っているように一人称が「私」である小説に集まる、作者のスキャンダルを好む読者がいることを太宰は把握している。その上で尚も「私」視点の作品を描き続けたことは、「フィクションである」という前置きがあるものの、それは建前であり、実際は私生活の告白がある程度含まれているので、読者に混同されても仕方ないと考えていたのではないだろうか。そうなれば今まで通りの太宰像も全く間違っているとは言い難い。

 このようにある場面ではフィクションを強調し、ある場面では太宰をモデルにした設定を用いることで、読者は太宰への態度を二転三転しながら読むことを要求される。目立ちたがりながら、自分と作品とは無関係と言い張る。このような創作原理を一文で表せば「だまっていれば名を呼ぶし、近寄って行けば逃げ去る」となるだろう。これはメリメの言葉で女性と猫はこちらが放っていると近寄ってくるが、逆にこちらから近づこうとすると逃げていくという意味で、太宰はこれを『猿面冠者』(昭11)と『美少女』(昭14)で引用している。特に『猿面冠者』ではこの言葉を本来の意味に加え「メリメは猫と女のほかにもうひとつの名詞を忘れている。傑作の幻影という重大な名詞を!」と、述べている。ところが、太宰も重大な名詞を忘れている。太宰の読者に対する態度という重大な名詞を、である。読者がフィクションとして物語を読もうとすると、太宰そっくりの登場人物が登場し読者のスキャンダルを好む性質を煽り読者に近づこうとする。ところが読者が初めから太宰の私生活の告白として物語を読もうとすると、「フィクションはフィクションとして読め」と逃げ去っていく。よって、前述の2つの結論はどちらも矛盾していないのである。逆に、どちらか一方の読み方で太宰とその作品をとらえようとすると矛盾が生じるのだ。

 

4.参考文献

相馬正一『新潮社日本文学アルバム19 太宰治』(1983・9、新潮社)

中村三春『花のフラクタル 20世紀日本前衛小説研究』(2012・1、翰林書房)

太宰治全集1』(1988・8、ちくま文庫

太宰治全集3』(1988・10、ちくま文庫

立川志の輔古典落語100席―滑稽・人情・艶笑・怪談……』(1977・11、PHP研究所