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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

詩とお近づきになりたい深夜

 

僕は詩があんまり好きじゃない。そのくせ文学部で、哲学科のすみで詩学の勉強をしているから、またそうやってはすに構えて、とか、またはにかみを言う、とどやされそうだけれど、少なくとも高校生のときまでは詩なんて大嫌いだったし、詩と僕は現国の授業でしか出会わない関係だと思っていた(どうりで文章に魅力がない)。

 

 

詩は僕にとって刺激的すぎるんだと思う。岩塩のように刺激的、触れようとしてもごつごつしていて、歩み寄ってみても歯が立たず、それでいていつまでたっても舌がひりひりとして痕跡をこちら側にのこす。詩は優しい、ということがあるけれど、その意味がよくわからなかった。詩はオブラートに包まれない作者の心の告白であって、かつ直接な言葉を使わないからその意味するところだけがぼんやりと、でも心に突き刺さる、そういうイメージだった。書いていてわかりにくい(そのイメージを直接に言語化できないのだからこそ詩は生まれたし、詩は美しいのだろうとも思うけれど)。詩は部分から全体へのイメージの展開がある。

 

ところが大学に入って、いろいろな本を読んでいると、あるときこんな文章と出会った。

 

詩の言葉は小説の言葉のようにまっすぐ対象をさし示さない。いや、言葉である以上はいったんかならず対象のほうへむかって出てゆくにちがいないのであるが、どこかでいちど屈折してふたたび言葉のほうへ戻ってくる。そして、そこに言葉同士だけの緊密な網を張りめぐらそうとする。つまり、詩は小説とちがって、われわれの注意を書かれている対象のほうへ誘導してくれるのではなく、むしろそれとは逆の方向へ引きもどしながら言葉の網で掬いとってしまうのである。われわれとしては、さしあたりはもっぱら網の出来ぐあいでも鑑賞しているよりほかない。言葉と言葉とがどれほど的確に結びあわされているか、その結果、手垢にまみれた日常語がいかに思いがけない意味と響きをおびて輝いて見えるか、こういうことを捉える繊細な感受性、特殊な能力が詩を読むにあたっては要求される。

(新田博衛詩学序説』1980年、現代美学双書)

 

繊細な感受性を、詩を読むには要求される、というと詩が好きな人のなかにはむっとする人があるかもしれない。そうやって排他的になるな、詩はもっと素朴に、素直に読めばいいんだと。そうなのかもしれないけれど(というかその素直な姿勢こそが繊細な感受性を意味するのかもしれないけれど)、新田先生のこの言葉は、詩とながらくお近づきになれなかった自分を慰めてくれるようだっだ。そっか、やっぱり難しいんだなと思った。そして、こうしてどんなものであれ「お近づきになる方法」を提示してもらえるとすこし気が楽になる。僕はこの本と出合ってから、詩の性格を上のようなものだと考えつつ、触れ合うようになった。この捉え方が正しいのかどうかはわからない(もし正しい詩の捉え方、なんてものがあったとして、ね)。でもそんなことは詩と触れあう中で後になって、反省的にわかるものだし、とりあえずはなにかそういう視点をもてればいいんだと思う。

 

(どう触れ合っていいかわからないものとの、「お近づきの方法」。それっていろいろあるけれど、詩も実はそういう「お近づきの方法」なんじゃないのかと、教授と話したり少しづつ詩を読んで最近考えるようになった。様々な事象にたいして、いったいどのように対応すればいいのか、その《How to》が集められたのが、たとえば古今集なんかじゃないだろうか。暖かい日差しに頭がぼんやりしたら、そのときの感情をどう表そうか。恋に落ちたら、その気持ちはどう自分のなかで理解したらいいのだろうか。この気持ちは、どう相手に伝えるのか。そうしたことを、先人からひとは学んだんじゃないだろうか。だから古今集は、そうした個々の事象に対する対応の差異の集積であって、ある種マニュアルなのかもしれない。)

 

けれどもまた、詩を読んでいると、僕はとっても下世話な人間だと感じる。以前、このブログで、太宰治が自分の作品を私小説的に読む読者の事を嘆いていた(そういう一方で、読者にそう読むように焚きつけてもいた)ということを書いたけれど、詩、とくに日本の現代詩なんか読んでいるとどうしても作者の実生活の告白なのでは?と呼んでいる自分がいることに気が付く。といっても、20世紀初頭の詩壇なんかは実際私小説的なものが多く、確かにそう読めるのだけれど、どうも少し時代が古いせいかあんまりリアルとして、詩の後ろの作者の影をなまなまと感じることはない。それに彼らが西洋の詩を意識して詩作していることもあるのか、たとえば津村信夫の『愛する神の歌』*1で、実際に津村のお姉さんが死んでしまったときの詩も、リルケの『若い彫塑家』*2で彫塑家が地元に置いてきた恋人と死別する、物語的な詩のようにフィクションとして読めてしまう(立原道造なんてもっと)。 だけれど現代の詩、特に戦後、もっというと作者が生きていたり、今活動中であったりすると、僕の心は詩によけいな解釈を付けようとする。詩の世界じゃなくて、作者の実生活を想像しそうになる。だからまだ現代詩とはお近づきになれない(まるでお近づきになれる日がくるような物言い。でも、そこうした困難・格闘の末に見える現代詩はまた美しいかもよ?)。三好達治が『詩を読む人のために』で、詩を読み詩を愛するものはすでに詩人であるといっていたけれど、やっぱり詩を変な方向から入ろうとする人間は、詩人と詩を共有する詩人にはなれないんですかね。それでも、お近づきになれないからこそアタックすることもある(なんて詩的じゃないことばだ!)。今日も、真夜中に現代詩を読んでひやひやする。早く寝よう。「おやすみ やさしい顔した娘たち」ああ、これは立原の詩の一節だった。僕へじゃない。

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*1:

愛する神の歌

父が洋杖(ステツキ)をついて、私はその側に立ち、新らしく出来上つた姉の墓を眺めてゐた、

噴水塔の裏の木梢で、春蝉が鳴いてゐる。/若くて身歿(みまか)つた人の墓石は美しく磨かれてゐる。

ああ、嘗つて、誰が考へただらう。この知らない土地の青空の下で、小さな一つの魂が安らひを得ると。

春から秋へ、/墓石は、おのづからなる歴史を持つだらう。

風が吹くたびに、遠くの松脂(まつやに)の匂ひもする。

やがて、

私達も此処を立ち去るだらう。かりそめの散歩者をよそほつて。

津村信夫「愛する神の歌」(『愛する神の歌』1935年、四季社))

*2:

若い彫塑家

私は羅馬へ行かなくては。/年を経て名誉を担つて帰つて来る。/泣くのではない。ねえ、恋人よ、/私は羅馬で傑作をつくるのだ。

さう云つて、彼は酔心地で/望むだ世界を歩いて行つた。/しかし魂は屢々心の中の/非難に耳を傾けるやうだつた。

いやな不安が彼を故郷へ返した。/彼は泣濡れた眼をして/

棺の中の憐れな土色の恋人を彫むだ。/そしてそれが――それが彼の傑作だつた。

(茅野蕭々訳『リルケ詩抄』1927年、第一書房)

津村信夫の詩がリルケと似た雰囲気といったが、事実津村はリルケに傾倒している。そもそも『愛する神の歌』というタイトルも、リルケの『愛する神の話』からとっている。