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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

バイト先で心が小学生になる

あったこと

 バイト先で、初めて自習席の監督をしました。生徒が居眠りしていないかの監視と、質問があれば一緒に考えて答える(か、答えをほのめかすふりをしてごまかす)というもの。先輩講師のおさがりでよれた白衣を着て、首からは自分の名札を下げ、赤ペン握ってボードをかかえ、自習席を2時間、うろうろする。はじめ、うろうろしすぎて研修責任者に「そんなにはりきらなくていいから」といわれてしまった。

 最初に、女子高生から質問。はりきってはいはいと言って向かうと「先生は理系?」と訊かれる。文系だよ、文学部なんだよね、と答える。白衣なのに?白衣なのに。

 またしばらくの間、自習席の一番前、生徒の机と机の狭い間に置かれたイスに、すわる、というよりはさまる、という感じで腰かける。今度は中学3年の男子が両手を挙げてせんせーいと呼んできた。よれよれの白衣にぬるい暖房の風の抵抗を感じながら、ふたたびどきどきしつつ、その生徒の席へ向かった。

 僕たち講師(役)は、生徒が質問を投げかけてきたときには、まず問題文を読み、わからなければ解答を生徒からとりあげてそれらしい示唆を与えてみる。けれども、その生徒は解答も机に広げたうえで、問題文がなにをいっているのかわからない、解答も突然登場するこの「m」がなんなのかわからない、という。単元は平方根の応用問題。2年間も学校の数学に触れていないと、頭は簡単に「そっちの方」へは切りかわってくれない。何度も口で「今、nは自然数であり…」と問題文を繰り返しながら、「あ、こいつだめな講師だ」という目で見てくる生徒に教えられないものを教えようとする。それでも何度か解答をいじって説明していると突然、「あぁ…インスピレーション」と低い声で生徒がうなった。マジか。俺に解き方を教えてくれよと思いながら「おお、よかった」とほっとして席に戻る。しばらくしてその生徒が理系の講師のもとへ何か訊きに行ったのは見なかったことにする。

 またしばらく狭いスペースに置かれたイスにすわって質問を待つ。ちょうど僕がすわっているところの反対側、職員の部屋と自習席を区切るためにある背の低い本棚には、参考書と小学生向けの児童文学がつまっている。ああ黄色いカバーの『英語長文問題精講』。高校の時によくやったっけ。日本史Bのやたらこどもっぽい表紙の問題集!高3の時の授業で使ったな。と、ひとつひとつを眺めていると、なんだか小中高校で読んだものがだいたいつまっていて、自分の勉強量なんて所詮この本棚ひとつに収まるもんなのか、と少しショックになった。あのときはもっと果てしなくて膨大な量だと思ってたのに。

 その本棚の中でも、問題集と混じって並べられた児童文学の表紙と題名は特に懐かしくて心がしばらく小学生になってしまっていた。『チョコレート戦争』ショーウインドウに飾ってあるお城みたいなケーキをどうにかするんだったっけ。こまったさんシリーズ、女子の方がよく読んでいたイメージ。でも、読んだことのない新しそうなものもいくつかあって、そうか今の小学生とも読んだ本の話はできるし、一方で僕の知らない児童文学もいっぱいあるんだなと思った。普段児童文学の事なんて考えないし、行きつけの本屋でもどこにあるのかすら知らない。でも思えばあの頃が一番本を読むのが楽しかった気がするし(その後も中高と本は読んでいたけれど、新しいものに出会うドキドキは確実に小学校の時がピークだった)、あの小学校の図書館で代本版を挟んで紙の図書カード(正式名称はどんなだったっけな)に自分の名前を書いて、そのカードにあれあの子の名前も書いてある、今度それとなく話題を振ってみようかななんて考えたりしていた時は読書にいろんなわくわくがくっついていた。図書委員会で朝イチに図書室へいって本読んだりもしてたな。これからの時期の寒い図書室のにおいとか雰囲気が大好きだったな。でも、図書室のバルコニーにあった植物の水やりだけはいやだったな。なんかあのアロエとかくさかったし。

 そんなことを考えていてらあっという間に2時間が経っていた。中3の男子以外に声を掛けられたのは、「先生トイレ行っていいですか」だった。そんなバイト。心が小学生になれるだけでなく、お金ももらえちゃう。

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