hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

「今晩はだめよ エディプスちゃん」

彼  あれ どう?

彼女 気が進まないわ

彼  ぼくがきみを思ってるほど きみはぼくを思ってくれないんだなあ

彼女 それはね あなたが情緒的に閉塞されているからよ

(「今晩はだめよ エディプスちゃん」(冒頭) R.D.レイン著 村上光彦訳『好き?好き?大好き?』(1978年、みすず書房))

 中学の時から、こうして1人暮らしをするまで、家では朝飯(あさはん※長野の方言、朝メシのこと)のときにかならずコーヒーが出てきました。粉の分量も適当で、ペーパーフィルターの紙のにおいのするコーヒーを、デカンタいっぱいにがばがばつくるから、アメリカンお湯割りみたいな味だった。いまでも実家にかえると紙くさくて薄いコーヒーがでる。

 

 最近、気取ってコーヒーサイフォンを買い、よくわからない豆(えっとこの…タンザニアのルブーマですか、これを。はい100グラムでいいです。いえ、うちで曳きます。)を、こじゃれた喫茶店で買って家で飲む。説明書の指示どおりの量をいれてつくると、真っ黒で、ザ・コーヒー豆の煮汁、みたいな(みたいなもくそもコーヒー豆の煮汁だろう)めちゃめちゃに濃いコーヒーができる。飲むと心臓がばっくんばっくんになる。すわっていると、上半身が鼓動といっしょに前後にゆれるような感覚がする。根拠のない不安にせかされているような気持ちになる(「根拠のない不安」!不安はたいてい、根拠がないことに対するものだろう?根拠のないことを根拠に不安はうまれるんだろう?そしてそのトートロジーのいたちごっこの足音が、心臓のばくばくなんだろう。)。コーヒー、からだにあわないのかな…。

 長くなったけれど、僕はさっき冒頭だけあげた詩を読むと、そんな不安におちいります。どうしてか心臓がばくばくします。同時に紙くさいコーヒーの味が舌の上をはしります。

彼  あれ どう?

彼女 気が進まないわ

彼  ぼくがきみを思ってるほど きみはぼくを思ってくれないんだなあ

彼女 それはね あなたが情緒的に閉塞されているからよ

彼  どうしてそんなことが言えるの?

彼女 あなたって 自分の感情をぐっと抑えられないのね

   だから それをありったけ ペニスに注ぎこむのよ

彼  きみがぼくに割ける時間ときたら ぼくがきみにとっとく時間ほど

   ないんだなあ

彼女 あなたが言うつもりでいるのは わたしがファックされたいと思

   う度合いとくらべて あなたのほうがよけいに わたしにファック

   したいと思ってるってことなのよ 

彼  ぼくはさ きみの目をのぞきこむのが好きだな

彼女 情緒的に成熟したひとたちって たがいに相手の目をのぞきこまず

   にはいられないってことが あまりないらしくてよ そこにいくと

   あなたときたら やたらに長いあいだ やたらにしょっちゅう 

   わたしの目をのぞきこまないではいられないらしいけど

彼  きみの顔は暖炉の火でみると美しいなあ 

彼女 きっと わたしを見てると お母さまのこと思いだすんでしょ

彼  お母ちゃん!

彼女 今晩はだめよ エディプスちゃん

  詩の最初から最後まで、彼の言動と好意(と行為)は、すべて精神分析の対象として彼女が還元してしまう。荒びきのコーヒー豆を、紙くさいフィルターでこすように、彼女は彼から症状を抽出する。彼女が彼からドリップした症状は、彼女のフィルターのにおいが取れない。こんなコーヒー、豆が悪いのか、フィルターがいけないのか、わかってて飲み続けるやつがあほなのか。

 ただ一方で、どうも心臓がばくばくするのは、彼のいっていること(「ぼくはさ 君の目をのぞきこむのがすきだな」)や、自分の欲望に従おうとすることに共感をおぼえる自分がいることに気づかされたり、彼女が彼に分析を下すとき、その症状をあてはめられた彼の気持ち側に立つことで、彼と同じく自分が彼女に分析されたような気持ちになるからでしょうか。彼が、彼女の目をのぞきこむとき、それは彼女を愛しているのでしょうか、彼女の目にうつる自分自身の姿、を愛しているのでしょうか。そしてそんな彼と彼女のことを、僕たちが「のぞきこむ」とき、そのことは反射されて、同時に自分を、のぞきこむことになる。自分がみられた気がしてしまう。だから、どこか不安になる。

 

 感情と下半身を関連させようとする精神分析の癖や、鏡像段階・エディプスコンプレックスについて、といちいち彼女の言葉を精神分析の場合にあてはめて語ることは、それこそ紙くさいフィルターでこの詩をろ過(詩をいちいち言い換え、まとめて説明しようとする人間は、詩をろ過した気でいるのでしょうか。そうしてくさい紙フィルターであるところの当の本人は、自分のほうに残ったまずい搾りかすをありがたがっているんでしょうか。その豆は砕いちゃいけないんじゃないかな。砕かざるを得ないことには同情するけど…。)するようなものでしょう。といって「詩をろ過する人たち」と、詩を読む人をフィルターにかけてしまいました。どうせ僕も紙くさいフィルター。

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