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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

『私は生まれなおしている』

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 部屋の片づけがしたくなり、加えてどうでもよい文をかきたくなっているこの状態。こうした欲求がなにを意味しているかというと、僕にはやるべき課題があり、でもまだなにも手をつけておらず、あと2日と半分しか残された時間がないということを意味しているのです。

 

 足の踏み場もありません。バイト先の塾で使われた大量のプリント(三角柱と三角錐の違いが、「←頂点!」の走り書きとともに、がたがたの図形でもって解説してある)や、初回だけでた講義の今後の予定(最終レポートのみ出して単位をもらうつもりらしく、締め切りの日付に下線がひいてある)が書かれた紙が、絨毯の上いっぱいを覆うことで、僕の歩行によってその安物の絨毯の繊維が摩耗しないようになっています。そしてそこへアクセントとして添えられた、色とりどりのペットボトル、謎の封筒、ビニール袋、パンツ。どこをみても物であふれ、空きのないこの部屋は、6畳ないといわれるこの正方形の部屋を訪れる者の目を、決して飽きさせません。しかしながら、たいていの訪問者は、この部屋に飽きを感じる前に部屋を去ってしまうので、こうした趣向を楽しむ余裕はありません。訪問者があれば、これを機に大掃除を、とも思うものが、部屋が汚い→部屋にあげるひともいない→誰も来ない間部屋が汚くなる→さらに片づけがいやになりもっとひとをあげたくなくなる→…という負のスパイラルに飲み込まれている今、そうした訪問者の登場はうれしいと同時にうれしくないという(やっすい)二面性をもっていることになり、僕の方からひとを招くことはできなくなりました。本来ならば、招く招かない以前に、そもそも招くような人がいるのか、と前提を確かなものにしなければならないのですが、これはあまりにも悲しい結論が待っているために、いま議論にのぼらせることは拒否します。

 こうした部屋の様子をみていただくため、写真を載せることもできますが、撮ったとしてその写真は誰も幸せにしないことを運命づけられた写真となるため、代わりに(多読自慢バカがよくやる本棚紹介みたいな(なんで読む本をどれもみんな買う必要があるの?図書館ってしってる?無料で本がよめるところなんだけど*1))本棚の写真を載せました。こうしてみると、一番上の段が全く活用されていないことがよくわかりますね。整理の参考にいたします。

 いま、僕はパソコンにむかっているわけですが、こうする際にも、準備としてまずは椅子の上に山積みになっている本とプリントをベッドに移し、皿や調味料によって机の地から迫害されたパソコンが置いてある、机と同程度の高さを持つベッドの方へむいて、ヒーター・机・ベッドが三方を固める真ん中に位置する椅子に、挟まるようにして坐り、パソコンのキーボードの上(第2の机と化している)からつくりかけのプラモデルをどかすという作業が必要なのです。狭いコックピットかなにかのようになっています。助けてくれ。

 

*1:これは自戒です。