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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

北川健次『美の侵犯―蕪村×西洋美術』

読書かんそーぶん

 

美の侵犯―蕪村×西洋美術

美の侵犯―蕪村×西洋美術

 

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 なんだこれは。蕪村についての発表をしなければいけなかったので、「蕪村」で蔵書検索をかけていたら、だいたい『詩人与謝蕪村』みたいな俳句の鑑賞本がずらっと表示される中で、1つだけ浮いていたこの本。当初、蕪村の評価史について発表しようと思っていたので、最新の語り口としてはこんなとんでもないものもあるんですよ、という風に使えなくもないかなと思い借りてしまいました。

 

 あとで僕の感想もかきますが、そんなことをつらつら書くより、本書をちょっとみてもらった方が、言いたいことはわかると思いますので、引用を。本書11頁、序文より。

 例えば――「いな妻や波もてゆへる秋津島」という句を例に挙げてみよう。秋津島とは「日本」の意味であるが、この句は稲妻の白銀の閃光までも眼下に見る高みから、暗い海の波の揺らぎに囲まれた日本全土を一望に俯瞰した、何とも奔放を極めたヴィジョンである。この句が持つスケール感と神秘性を併せ持つイメージの近似を、数多くある絵画の中に求めることは難しいが、それでも美術を知る人ならばおそらく一致して挙げるのは、日本画家の横山大観が描いた《或る日の太平洋》であろうか。

   (北川健次『美の侵犯 蕪村×西洋美術』(求龍堂、2014)11頁。)

 同じく序文で、筆者は蕪村の句とイメージが重なるのは、日本美術のなかにはほとんどなく(例外として、この大観くらい)、むしろ西洋美術の中に、蕪村と合致するものがある!というのですが…。そもそもな、「この句が持つスケール感と神秘性を併せ持つイメージの近似を、数多くある絵画の中に求めることは難しいが」って何なんだ。なぜイメージの近似を、絵画の中に求めようとしたんだ…。確かに、確かにね?後でいうように、蕪村の句は「絵画的」っていわれるけれど、それって多くの場合、単なる比喩以上のものではなく、意味するところがよくわかんない言い方なんだけど、本当になんかの絵と、蕪村の句が一対一対応するなんて誰も思っていないんじゃ…。いやいや、だからこそこの本は画期的なのか、そうなんだ、そうなのか。この本に一貫して言えるのは、「そう思う根拠は何?」と「そういう必然性は?」ということである。別に蕪村と西洋美術を結びつける必要はない。でもそこに関連性をみつけて語るというのは、確かに面白そうだ。でも、「なんでそう思ったのか」が、具体的な蕪村の句と西洋美術との比較のレベルでもぼんやりとしているし、そう思ったきっかけという、本書の意義のレベルでもぼんやりしている。ただ、だからこそ読者は、「なんでそう思ったんだ??」と思いながら、その根拠をこの本に求めて読み進めるのかもしれないけど。どれもが示唆でおわるのは、この本の魅力でもあるし欠点でもあると思う。

 というかねえ、「イメージの近似」ってのがなんなのかは知らないけれど、句と似通った絵を拾い上げて「似てる!」っていっても全然魅力がないと思うんだけど。だいたい大観の絵も、「波」と、日本の象徴みたいな「富士山」がかいてあって、蕪村の句にも「波もてゆへる」と、波のことと、「秋津島」すなわち「日本」がそのままかかれちゃってるんだから、これは近似というか「そのまんま」だよね。

 蕪村は俳画といって、同じ画面中に句と画が付された作品がある。本書がまさにやっているように、蕪村の句と、絵画が同居したものなわけね。これは蕪村の「句の絵画性」と「画の文学性」を論じる際によく引き合いに出される*1。そんな俳画で、蕪村はどんなことに注意したのだろうか。結論から先にいうと、蕪村は句と絵のイメージは近似してはならないといってるんだよね。以下、ちょっと安永拓世氏の論文、「与謝蕪村の絵画表現における俳諧的趣向―重なり合い、補い合う、絵画と文学―」で紹介されている事例を、少し要約しつつ使って、そのことを紹介しようと思う*2

 蕪村の弟子が、「老なりし鵜飼ことしは見えぬかな」という、年老いた鵜飼の姿を今年は見ない、とその身の上を案じた蕪村の句に対して、「魚籠」と「二尾の鮎」を描いた俳画をつくったという。これに対して蕪村は、句の情景をそのまま描いたのでは、句の「あはれ」が失われるといい、この句に対しては、「焚き捨てられた篝火」のようなものを付すのがよいと指導している。安永氏がここで指摘している通り、そこはかとない無常観や寂寥感をただよわせているこの句の感覚は、魚籠や鮎の絵では当然、表現できるはずがなく、燃え尽きた捨篝のようなもの悲しい印象のもののがふさわしい。つまり、「鵜飼」という語句にたいして「魚籠」「鮎」では、イメージ同士が近い。それが「鵜飼」と「捨篝」だと、イメージ同士に距離がある。すると鑑賞者は、ここの距離、穴を埋めるために、何かしらの解釈を持ち出す。自分の主観を持ち出し、ここへ没入する。このプロセスが叙情性を生み出す(こんなことは、安永氏は言っておらず、これは僕の勝手な意見)。ここでは、句が、鵜飼が今年「見えなくなった」と、視覚的に淡々と述べる一方で、絵では物語のように叙情的に寂寥感をさそう捨篝を配している点で、「句はより絵画的であろうと志向し、逆に、絵はむしろ文学的であろうと志向している」という。そんなことを考えていた蕪村の句を、なんか主題が句とそのまんまの絵とくっつける、すなわちイメージが近いものと並べるというのはどういうわけなのか。

 ところが逆に、本書を読み進めていくと、「なんでその句とこの絵画をくっつけたの?」というのもある。本書51‐56頁「子規(ほととぎす)柩をつかむ雲間より」と、ガウディの《サグラダ・ファミリア》とか。

そこに蕪村の幻視家としての躍如がある。句の冒頭で「子規」と言い切り、後は私たちの感性に委ねてしまう。すると私たちの心象の内で一声鋭い鳴き声が幻聴のように高く響き、それが怪奇譚の幕開けの合図となって、魔的な場面がありありと今まさに始まるのである。蕪村が詠んだこの壮大なヴィジョン。おそらくそれに対峙できるのは、スペインのバルセロナが生んだ天才建築家アントニ・ガウディ(一八五二‐一九二六)の異形な作品――サグラダ・ファミリアを措いて他にはないであろう。 

    (北川氏、前掲書。53頁。)

…。「句の冒頭で「子規」と言い切り、後は私たちの感性に委ねてしまう。」はい。小学校で習いましたね、これは「初句切れ」といい、俳句の技法のひとつです。蕪村にかぎらず、多くの俳諧師の句には「句切れ」というものが存在し、だいたいそこでイメージが飛びます。跳躍します。その跳躍を楽しむもんです。「後は私たちの感性に委ねてしまう」といいますが、そもそもこうしたイメージの跳躍を埋めようとするのが、読者の感性、想像力です。蕪村の句に限りません。どんな句でもこれはいえます。というか芸術ってそういうものでしょう(これは筆者も冒頭で言い切っている)。というかこの章、最初の10行まで蕪村のことをいってるものの、あとの41行はサグラダ・ファミリアのことで占められていて、結局なんでこことここをつなげたのかがわからない。筆者がスペインを訪れた話だとか、後世に建築が続くサグラダ・ファミリアが、当初の意思が受け継がれていないと危惧していますとか、昔、だれも寄り付かなかった同建築物に、謎めいた少年が現れたそうですよ、そしてそれは実は幼いころのダリだったのですという話をしておわり。…蕪村のことほんとに好き?今回はとりあえずこれまで。

 

*1:安永拓世「与謝蕪村の絵画表現における俳諧的趣向―重なり合い、補い合う、絵画と文学―」(楠本六男篇『江戸美術からの架橋――茶・書・美術・仏教』竹林舎、2009)なんかは、この絵画中の俳諧的趣向を考察するのに、さしあたってまずは俳画を例にとっている。いわく、「句と絵との絶妙なバランスによって成り立つ蕪村の俳画は、何を句にし、何を文字にし、何を絵にしたかを比較することで、蕪村芸術における文学と絵画との相関関係をより明確に示してくれる」という(同書、274頁)。

*2:安永、前掲書。275‐277頁