読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

夏らしくなった日

 指先がべたべたしている。べたべたしている指先で握っている、自転車のハンドルもまたべたべたしてきている。もう指先では収まらない。指がべたべたしている、といった方がいいかもしれない。指先とはどこをさすのだろうか?第一関節までだろうか?第一関節までを指先というのであれば、やはりここでは、指がべたべたしているといった方がより状況に即している。背中には汗がにじんできている。でこぼこのアスファルトの上を車輪がはねるたび、汗を吸った襟が冷たいわっかとなって首に触れてくる。

 

 何度目かのアラームを、ゼリー状の無意識の中に意識が注入されていくのを感じながら止めたとき(夢の中で、マグマが噴火する様子をきょだいなゼリーで再現する実験をしていた)、「あらら」と声がでた。このわざとらしい感嘆のことばは、素直な驚きと、その驚きをなぜか外からみているような、どこかよそよそしいものとして感じているような、ふしぎな気持ちをよく表現していると、あせりながらおもった。時刻は7時ちょうど。ねむそうな高校生に消しゴムを配るバイトがはじまるまであと25分しかなかった。自分でもびっくりする速さでスーツに着替え、部屋をとびでた。外は雲一つない、いい天気だった。

 

 バイトの終わりに、コンビニでアイスを買った。からのカップからしみだしたアイスののこりが、指先と、つかんでいる自転車のグリップをどんどんつたっていった。

 

 地下をはしっていない地下鉄に乗りながら、今日はいろんな乗り物にのる日だな、とおもった。朝のどたばたは、スーツと一緒にぬぎすてて、札幌のみなみのはじまできた。いつもなら4限をうけている時間だ。開いていた本のなかでは、売れない短編小説家と、かれがあずかっている女の子が、炒めたポテトをたべていた。かれらのテーブルのうしろでは、憂鬱症のペンギンが、冷凍カレイを思慮深げにたべていた。

 車輌の真ん中のあたりにすわっていたので、上から冷房ががんがんふきつけてきた。今日は前髪が右に流してあるので、右から吹き付ける風はちょっといやだった。

 

 美術館の帰りのバスでは、発券機のすぐうしろの席にすわった。高校生のときから、一人でバスに乗るときはここにのってしまう。目の前でおばあちゃんたちががっちゃんと券をとっていく。窓の外か本の方に目をむけながら、その感じを音できく。pleasantという単語をおもいだす。さっき川にかかる橋のうえでかいだにおいや、黄色いちいさな歩行者用押ボタン、がこがこいう発券機。心地よいとか趣があるというとへんな感じだけれど、pleasantだとなんかしっくりくる。プレザント、という語感がいいのかもしれない、とおもった。

 

 眼鏡をあたらしくするために、駅の眼鏡屋をはしごした。へんなにおいがするお店があった。レンズを粉にしたときのにおい、と勝手に想像する。黒縁がよかったけれど結局前とにたような眼鏡にする。前のよりすこし縁の色がうすくなった。眼鏡の渡し時間まで、裸眼でふらふらあるく。ポテトをたべる。

 

 

 …たまにこういう文が書きたくなります。たぶん中学のときにかいていた文章がこんなんでした。ひらがなを多用して、ふわっとした感じにしたらpleasantです。中学からまるで成長が見られない…。