hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

一人称ごっこ

 傘を買いに来た。今持っている傘は、開くと真上に穴があいているので、傘を差しながら空模様を確認できるかわりに、見上げたときに顔に雨粒があたるのだ。駅の雑貨屋で、傘売り場を探して歩きまわっていると、季節柄か専門コーナーが、ちょうどエスカレーターの向かい側、店のいちばん目立つところに設置されているのを発見。真っ白いペンキが塗られた蛇腹型のパイプや、さまざまな細い管が走る、どこか廃工場を思わせる天井からはいくつもの傘が開かれた状態で垂れ下がっていた。さながらインスタレーションだ。その下にズラリと並んだ棚は、そこにぶっささっている傘たちをさまざまな観点から細かく分類していた。「耐強風傘」、「超軽量傘」、「スイッチひとつでポン、楽々ボタン式傘」、「耐強風超軽量スイッチひとつでポン、楽々ボタン式傘」といったふうに。僕の立っている側には「紳士傘」、裏にまわると「メンズ傘」の棚があった。はて、僕はどちらの棚から傘を選ぶべきだろうか?

 「紳士傘」は、字面通り意味をひろえば紳士用の傘ということである。「耐強風傘」は、強風にも耐える傘という、傘の能力に重点を置いたネーミングだが、紳士傘は、傘を用いる人の方に重点が置かれている。紳士の傘。勇者の剣が勇者以外は装備できないのと同じように、紳士傘は紳士しか使用を許されていないのではないだろうか。そういうことであれば、僕が紳士傘を使うことは許されるのか?

 そもそも紳士とはどんなひとを指すのだろう。僕の中の紳士像は、実に陳腐だけど、燕尾服を着こなし、ステッキをつきながら歩く、いつもハンケチ(ハンカチじゃない、ハンケチ)をポケットにしまっている初老の男性だ。僕はどれにも当てはまらない。諦めつつも棚に目をやると、そこには紳士傘、すなわち柄が長くて、折り畳み式でない、いわゆるこうもり傘が、横にしたポールに連なってかかっていた。あっ、もしかしてこれ、この傘をステッキ代わりにできるやつ?それなら中学生のころの下校のときによくやった。でもだからといって、紳士の仲間入りは果たせないだろう。

 まて、まて。紳士は自分を、紳士だと自覚しているのか?「涙を流すご婦人にさっとハンケチを差し出した自分、まじで紳士だなあ」と思うのだろうか?紳士が?なんか違う。そんなやつに紳士は務まらないと思う。紳士は他称されてこその紳士ではないか。

 となるとここに、紳士傘のパラドックスがうまれる。つまり、こう。「紳士傘は紳士にしか使えないが、紳士が紳士傘を買おうとすると、紳士を自称する人間になってしまい、紳士傘を使う資格を失う。」ひととおり妄想を済ませたところで、メンズ傘の方へ向かう。

 「メンズ傘」、これはもっとやっかいだ。メンズにかんしてはまずどんなのを指すのかイメージがわかない。ただ、単なるマンの複数形プラス「ズ」である以上の意味を含んでいそうなことは確かだ。先ほどの反省から、むやみに頭で考えずに(さっきから僕の中のギャルが「あのメンズヤバくね?」とさわいでいる)、実景により考察をおこなう。ただの折り畳み傘だこれ。

 僕は、折りたたみ傘もといメンズ傘のうちの一本を抜き取り、レジへと向かった。そう、僕が、僕がメンズになるのだ。