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hinodemukaidori

『あそこには日蔭もあり、風もほどよく吹いています。それに、草が生えていて坐ることもできるし、あるいはなんでしたら、寝ころぶこともできます。』   (藤澤令夫訳プラトン著『パイドロス』)

WHAT IS GOING ON ?

 

 ・金曜の3限と火曜の3限を墓地に捨てたことで、連休をまたいで、富山・金沢4泊5日の旅(旅?)を召喚しました。

・『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読んだ。ホッパーのカバーイラストが気に入って買った。というのは嘘で、ほんとうはつくみずさんの絵をみて影響された。連休の少し前の話。10話の短篇集で、寝る前に1篇づつ読んだ。8つ目からは空港行きの快速エアポートの中で読んだ。江國香織は国語の問題集でよく見かけるイメージ。でも、この本の短篇から入試問題をつくるのは厳しそうだ。

・本を読むことが、読者によるある種の創作行為や、小説の2次創作であるという考え。立原の廃墟論や彼の『Dictation』を持ってこようか、それともバルトから「作者の死」?翻訳ロシア文学を読む授業で先生が似たようなことをいっていたけれど忘れてしまった。

・本をどこで読んだかとか、どのタイミングで読んだのかとかは、読書の体験に影響を与えていると思う。そんなことは当たり前すぎていまさら言う必要ないのかもしれないけれど。あるところからAを、また別のところからBをもってきてその二つをくっつけることも創作と言えるのなら(ディペイズマンを引き合いに出すのはおおげさだけど)、ある環境に、ある小説をもってきて、それをどうじに身体で経験するのなら、やっぱり読書は創作行為なのか。

・そんなこといったらなんだって創作だ!っていえそうだけどね。でも、本を紹介しながら、それをどんなときどんなとこで読んだのかも教えてくれるエッセイとか読んでみたい。

・飛行機にのるときはかならず本を一冊読む。小学4年生のときはじめて北海道に来た時からずっとそうしている(祖父母が北海道にいるのだ)。それで、機内で読んだ本はどれもみんなよく覚えている。空港の文教堂(長いエスカレーターとエスカレーターのあいだ、中休みみたいな階にぽつんとある)で本を探す。北杜夫の「ぼくのおじさん」を買う。本棚と本棚のあいだの通路で、おじさんが引っ張る大きなスーツケースが僕の背負うリュックにぶつかった。

・本の中でおじさんが、飛行機が墜落しないかドキドキしている。僕もちょっとドキドキしてみる。

・土曜日の夕方。WHAT IS GOING ON ?と書かれたTシャツを知らない街のイオンで買う。カーキに白文字。ダサくて笑っちゃう。「なにが起こってるの?」今の状況にぴったりだねってまた笑う。さようならさようなら。もうずっと、さようなら。札幌のからっとした湿度になれた体に、蒸し暑い湿気とシャツがまとわりつく。

・行きは満員だった飛行機は、帰りはがらがらだった。そりゃあ世間では連休明けの火曜、平日だもん。僕のとなりにはだれもすわっていないし、なんなら前後もだれもいない。帰りはなんにも読まないで窓の外の翼をみていた。コンソメスープひとつ、おねがいします。

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